2005年08月10日

●Mt.Fiji




■映像→「Mt.Fuji」(ダイジェスト版)5.4MB

6min 10min 20min 45min Video

富士山を撮り続けて50年、斉藤庫山2000枚の写真を
コンピュータ処理して制作した富士山ビデオの傑作!!
フランスではデジタル北斎と評され、世界各地の
ビデオフェス上映、フランス・モンペリェ国際ビデオ
フェス審査委員・特別賞作品、ザクレブ国際アニメ
フェス優秀賞作品。

FRIENDS OF EARTH Mt.Fuji
細野晴臣氏によるコメント
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東京で垣間見る富士山も、新幹線の窓に大写しされるフジもそれ
を見た或いは見るものに向けて計り知れぬメッセージを送る。その
メッセージ波はあまりにも広いレンジなので、微細な波も太極な
波も人は身体で感じる他はない。その中間の波動は丁度人にとって
受信しやすいのであり、美しいという思いや畏敬の念や、いつ
か登山しようかと、或いはなんていうこともない、などという雑
多な想念を刺激する筈だ。


だが、受信しきれない程膨大なレンジを持つメッセージである
からこそ、計り知れぬという感想を持つに至るのであって、古来
より人々はその未知のメッセージ、つまり計り知れなさをフジに
抱いて来たのであった。こんな時人はフジをもう一度、いや毎日
見たいと思うようになり、又は絵に写し取りたいと思ったり、そ
れらが高じて宗教的な活動の場にしたりして、計り知れないとい
う思いの空白を埋めようとする。


フジは何故このように膨大なメッセージを持つのだろう。自然
界はそもそも互いにメッセージを読み取り合って有機的に生きて
いる。フジはそれらの指令塔であるかもしれない。自然界は電磁
波に満たされているが局所的に疎密である。地球上は凹凸ではあ
るが、巨視的に見ればツルツルの平であるといってもいい。しか
し、だからこそ特に深い海や特に高い山は貴重な存在といえる。
それらは人類が生まれる以前から、地球にとっては特別なポイン
トであったのだ。人類の手先という凹凸の先端には或る種の生体
エネルギーが入室しているという。雷はとんがった避雷針に落ち
る。おそらく日本で一番とんがっているフジは、我々にとって今
だ未知のそんなエネルギーを蓄積し、放出したり入力したりする
自然界のジェネレーターのひとつであろう。


私は去年自然の中を歩いている時に、地球上を縦横に貫くライ
ンに思いを巡らせた。そのライン上の中心は何といってもフジな
のであった。古代、関東平野の住人はフジを常に見て暮らしていた
であろう。どこからでも見えるフジは丁度現在の東京タワーの様
に、人々の方向感覚の中心に据えられたであろう。聖なる道を指
し示すフジはこのように、賢人達にとってより良い人生を照らす
灯台としてリアルな思想をもたらした筈である。こうして具体的
な生活の中にフジの存在が活きていたのが古代であったとするな
ら、今日の我々にとってフジははたしてどうなのであろう。その
中心がフジという巨大な灯台から東京タワーへと卑小化され、現
代人は巨大な視点を見失ってしまった。今では地上のエネルギー・
ラインも嘘か本当かさえ解らない。が、それでもなおフジは無知
な我々に黙々と語りかけてくる。我々の心の空白は情報量と反比
例して拡がって来た。その空白を今なおフジは埋めてくれそうだ
って、かつて古代人が持っていたリアルなフジではなく、まるで
UFOのようにフジに遭遇する。だからであろうか、そこに登って
も近くに行って絵を描いても、決して満たされることがないのだ。
人は今なにをしたいのだろうか。きっとそれは眺めたりすること
ではなく、メッセージを読み取り全体的なる感覚で感じてみたい
ということだ。これほど切なる願いがあろうか。


このMt.Fujiという作品はそんな想いに満ちていて、とてもとて
も美しい。

Posted by Nakajima at 2005年08月10日 15:40
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